デス・オーバチュア
第92話「道化師の最後」




ゆっくりと瞳を開く。
「お目覚めですか?」
そこに居たのは黒い男だった。
「……なぜ……なぜ、我は生きている……?」
やっと終われたと思ったのに。
やっと解放されたと思ったのに。
「ある意味死にましたよ、あなたは」
どういう意味かと尋ねようとして……身体の異変に気づいた。
体中から『力』が抜けている。
魔力、腕力、体力、精神力、あらゆる力が感じられない。
使った分だけ消費された疲労感とは違う。
今のこの力の無い状態がこの体の全開の状態なのだ。
「命の代わりに『力』を全て奪われたようですね」
「…………」
「今のあなたは、今まであなたがゴミ扱いしていた何の力も持たない無力な人間と変わりません」
「……なぜ……素直に殺してくれなかった……」
「優しい子ですからね、あなたのような者でも殺したくはなかったのでしょう。だから、力だけを奪いあなたを無害な存在にした」
「……無害?……この我が?……」
「ええ、どれだけ邪悪な存在でも力が無ければ何もできませんからね」
確かに我は邪悪な存在だろう。
だからこそあの時倒された方が世の中のためだったのだ。
「まあ、あなたのような者にとっては殺されるより辛い罰になって良いかもしれませんね。無力な人間として地べたを這いずり回って生きなさい。日々の糧を得るためだけに限りある命を削る……どこまでも惨めに生き恥を晒すと良いですね」
男はそれだけ言うと、背中を向ける。
「待て……今の我は貴様にとってもはや役立たずの邪魔者……敵といってもいいはずだ……始末……殺せ……」
男は振り返ると意地の悪い笑みを浮かべた。
「敵? 今のあなたには私の敵を名乗る資格もありませんよ。殺す価値すらないただのゴミですよ、あなたは」
「なっ……!」
「では、もう二度と会うことはないでしょう」
男は再び背中を向けると、闇の中に消えていく。
あの男は、我に恥辱を、屈辱を与えるためだけにやってきたのだ……。
いいだろう、どこまでも惨めに生き延びてやる。
そして再び力を取り戻して、いつか必ず貴様も、あの死神も殺してやる。
そのためだけに、我は生きる。
貴様への憎しみを糧にして我は生き続けるのだ……。



「……なぜ、わざわざ憎まれるようなことを?」
水色の髪の美女は闇の中から姿を現す主人を出迎える。
「フッ、とりあえず生きる目的でもあった方がいいでしょう。憎しみは何よりも強い生きる原動力になりますからね」
「……お優しいのですね……」
アトロポスにはなぜ、コクマがティファレクトを助けたのか理解できなかった。
いくらタナトスの最後の一撃が、心臓ではなく、天使核……力の源を狙った一撃だったとはいえ、先程コクマが『施術(医療の術、特に手術を行うこと)』を施さなかったら、自力だけでは蘇生できなかっただろう。
「ええ、私はこれでも優しい人間なんですよ、なかなか信じてもらえませんけどね」
「…………」
アトロポスは、記憶を始めとするあらゆる情報を主人であるコクマと共有している、にもかかわらず主人の行動原理、真意だけは時々理解できないことがある。
主人の行動はアトロポスの『理』に合わないことが多かった。
十神剣一の知恵者、もっとも理性的な女性であるアトロポスには、主人の気まぐれが理解不能なのである。
気まぐれ……その時々の気分で物事を行う……などということは彼女にはあえりないことだった。
運命の法則を解き明かす高速演算装置とでもいえる存在である彼女の行動や思考は全て計算や論理に基づく。
それゆえに、彼女は他者から冷たい人間……正しくは人間ではないが……に思われがちだった。
「さて、後片づけの前にもう一人、話をつけなければいけない方が居るようですね」
コクマは微笑を浮かべると、左手をアトロポスに向けてかざす。
全てを察しているアトロポスは、水色の半透明な剣『真実の炎(トゥールフレイム)』となり主人の左手に収まった。
「……コクマ様……」
背後からの声に、コクマはゆっくりと振り返る。
「ケテルさん……兄上の敵討ちですか?」
「…………」
銀の髪に瞳、そして銀色に輝く片翼を持つ天使が、一振りの極東刀を携えて立っていた。



「……終わった」
青い月と無数の星々の瞬く夜空に浮遊していたDは一人呟く。
ここに居ながらも、Dは洞窟内の全てのできごとを見透かすことができた。
タイムリミットギリギリ。
禍々しく赤く輝いていた満月が中天に到達する直前に、黒髪の死神は魔法陣の一角をなす水晶柱の一つを見事打ち砕いたのだ。
そして、今の月は静謐な青き輝きを取り戻している。
「……さあ、あなたはどうされるのですか?」
Dはここにはいない誰かに問いかけた。
「このまま闇の中に沈みますか……それとも、自ら終幕を下ろしにきますか?」
Dは夜空の月と星の輝きの中で華麗に優雅に一人舞う。
その姿は幻想的なまでに、どこまでも美しかった。
「……カーテンコールにはまだ早い?」
殆どの役者はすでに退場している、ファントムという象徴そのものであるアクセルも今また……。
それでも、まだこの喜劇は終わらないのだ。
「フフフッ……少しばかり舞台を降りるのが早すぎたかもしれませんわね」
舞台を降りた役者は観客に回るのみ。
観客としては、物語に終わりをもたらす最後の登場人物の登場を心待つだけだった。



アクセルは確かにその瞬間を見届けた。
黒髪の死神の振り下ろした大鎌が疑似の緑水晶柱を打ち砕くのを……。
少女を止めるため、少女を貫くために突きだした手刀は僅かに間に合わなかった。
「……終わったか……」
アクセルは足下に俯せに倒れている黒髪の死神……タナトスを見下す。
水晶柱を破壊されても、構わずそのまま手刀でタナトスを貫くことはできた。
また、今こうして無防備に気を失っているタナトスは殺し放題である。
しかし、アクセルにはタナトスを殺す気は欠片もなかった。
勝敗が決した後に、いまさら相手を殺して何の意味がある?
それに、なぜか解らないが、アクセルは今、とても清々しい気分だった。
まるで、長い間の呪縛から解放でもされたような……。
『まあ、その表現もまんざら、間違いでもないかもね』
突然、声と共に、ピアノの旋律が聞こえてきた。
「……誰だ?」
『ん? 僕のこと忘れちゃったかな? 酷いな、君にその仮面をあげた、この僕を』
「……仮面……だと?」
アクセルの脳裏に次々と疑問符が浮かぶ。
自分はいつから仮面をするようになった? あの仮面はどこで手に入れたものだ? 誰が作った……。
『有り難う、本当に楽しい歌劇……喜劇だったよ。君は最高の道化だった……』
緑水晶柱を失い、機能を完全に停止していたはずの魔法陣の残された六つの水晶柱が一斉に輝きだした。
再び魔法陣が不完全ながら起動を開始する。
「馬鹿な!?」
『魔眼王は無理でも、魔界と地上を繋げるぐらいなら、六つも水晶柱があれば余裕でお釣りが来る』
高まるピアノの旋律に同調するように、六色の煌めきが天を貫いた。
そして虚空に生まれるのは、黒い孔(穴)。
孔の中から尋常でない強さの瘴気が溢れだし、室内を一瞬にして魔界の空気へと変貌させた。
魔界と繋がったというより、この部屋も魔界になったというべきであろう。
「……ぐっ?」
その尋常でない変化を感じてか、タナトスが目を覚ました。
だが、まだタナトスは立ち上がるだけの力も回復していない。
「本当に素敵な歌劇……最高の茶番劇だったよ」
孔の向こうからはっきりと少年の声が聞こえてきた。
今までのように遙かな次元を超えて響いてきた声と違って、少年は間違いなくタナトスやアクセルと同じ空間に存在している。
「これは楽しませてもらったお礼をしないといけないね。受け取るといい、僕のほんの気持ちだよ」
それは全て一瞬のできごとだった。
黒い孔の中で何かが光る、ルーファスとリーヴが室内に飛び込んでくる、アクセルがタナトスの前に庇うように飛び出す。
「……アクセル!?」
アクセルは九本の剣で串刺しにされていた。
額には長剣と短剣を繋げたような奇妙な青紫の剣が、左肩には光り輝く白銀の剣が、右肩には黒く輝く黒曜の剣が、喉には赤い極薄の長剣が、左膝には美しく輝く青一色の両刃剣が、右膝には石でできた大剣が、腹部には月光のような青銀色の妖しげな輝きを放つ幅広の剣が、右胸には水色の半透明な剣が突き刺さっている。
「馬鹿な、有り得ない……」
背後から聞こえてきた声は、リーヴの声か、ルーファスの声か、誰の声にしろタナトスもその声とまったく同じ気持ちだった。
左肩に刺さっているのは間違いなくルーファスの持つ光の神剣ライトヴェスタ、右胸に刺さっているのはコクマのトゥールフレイムである。
その上、アクセルの左胸を貫いていたのは……。
「……魂殺鎌?」
漆黒の大鎌、ソウルスレイヤー(魂を殺す鎌)こと魂殺鎌だった。
今もタナトスの左手に握られたままの大鎌と寸分の違いもない大鎌がアクセルの心臓から命を喰らい続けている。
「お疲れ様、アクセル。もう休んでいいよ」
少年の声と共に、九色の閃光が一瞬でアクセルという存在を跡形もなく消し飛ばした。



銀色の奇跡が闇を切り裂く。
マルクトの神速の刀の猛攻を、コクマはかわしきれず後退した。
数秒先の未来が見えたところで何の役に立とう?
マルクトは刹那の間に数え切れない数の一撃を放つのだ。
見るべきは、未来ではなく、マルクトの太刀筋。
それを見切らなければ、一瞬で斬り殺されるだけだ。
マルクトの速さはルーファスなどの速さとは違う。
物理的な速さでは光速で動くルーファスに及ばない、だが、マルクトの太刀筋にはルーファスの剣にはない鋭さと覚悟があった。
ルーファスの剣はその速さに任せたでたらめな太刀筋。
一太刀一太刀ちゃんと狙いもつけてもいなければ、実は無駄……何もない空間まで斬っていたり……も多いのだ。
それに対してマルクトの刀は、無駄も、牽制もなく、全てが急所を狙ってくる必殺の気勢を込めた一撃で構成されている。
「はっ!」
マルクトは一足で間合いを詰めると、再び銀光の奇跡でコクマの首を狙い続けた。
マルクトは決して自らの刀とコクマの剣を交錯させない。
神柱石でできている真実の炎と、いくら鍛え上げた業物であろうと鋼の刃に過ぎない己が刀では、正面からまともに打ち合ったら確実に粉砕されることが解っていたからだ。
どれだけ気勢を、闘気を込めて刀を強化しようと武器の差という事実は翻らない。
ゆえに、マルクトはコクマの剣撃は全て受け流し、剣の隙間を縫うようにコクマの急所だけを狙っていた。
「やはり貴方は賢い」
コクマはマルクトを賞賛する。
堕天使としての特種能力や魔術などいった遠距離攻撃を全て捨てて、接近戦での斬り合いを選んだのは最大の英断だ。
どれだけ威力のある攻撃だろうと、未来の視えるコクマには遠距離攻撃はまず当たらない。
コクマに攻撃を当てるには、視えても、かわしきれない速さか連続性を持つしかなかった。
その意味で、この超接近戦は正しい。
さらに、これだけ接近すれば、コクマの魔術や魔法を使うための二つの間……時間と間合い……を封じることができた。
「このままだと長引きそうですね。この後、予定が詰まっているんですけどね!」
コクマは後退ではなく、あえて前進する。
マルクトの刃が己が首を断ち切るよりも速く、マルクトを弾き飛ばしたのだ。
首筋に赤い線が生まれ、血が流れ出す。
コクマはそんなことは気にも止めず、真実の炎から水色の炎を噴き出させ、通路を吹き飛んでいくマルクトを追わせた。
「くっ……」
マルクトは片翼を羽ばたかせて空中で体勢を立て直す。
迫り来る水色の炎は通路全てを埋め尽くしており、回避するスペースはなかった。
マルクトは刀を大上段に振りかぶる。
「…………っ!」
水色の炎はマルクトを呑み込む直前で二つに両断されて、消滅した。
「んっ?……くっ!」
コクマは何を思ったのか、突然横に跳ぶ。
コクマは己の真横を見えない何かが駆け抜けていくのを感じた。
「なんですか、今のは?」
「……サイレントストライク……目でも、耳でも、捉えることのできない……静かなる一撃です……」
「衝撃波か、真空波か解りませんが、恐ろしく鋭利な、何よりかわしにくい一撃ですね」
直感に従って回避しなかったら、水色の炎と同じようにコクマもまた真っ二つに両断されていただろう。
マルクトは再び間合いを詰めるために突進してきた。
振りかぶった刀は、間合いを詰め終わると同時に振り下ろされるだろう。
だが、刀が振り下ろされることは永遠になかった。
「……なっ……あ……」
刀が地に落ちる。
マルクトはコクマに抱き寄せられていた。
「……どうしました? 天使というのは、抱き締められただけで、唇を奪われただけで、戦意を失うのですか?」
コクマは意地悪く笑う、互いの唇が再び重なりそうな近さで。
「うっ……いやぁぁっ!」
マルクトは両手でコクマの胸を突き飛ばして、腕の拘束から無理矢理逃れた。
その動きは過剰で、マルクトは明らかに動揺しており、隙だらけである。
「初心ですね、マルクトさんは。まあ、そこが可愛いんですが……駄目ですよ、ちゃんと敵は心の底から憎まなくてはね」
水色の炎を纏った真実の炎は、マルクトを十文字に切り裂いた。



「無垢な天使を誑かすとは……まさに堕天使の業だな」
エアリスは何事もなかったかのように歩いてくる男をそう称した。
「違いますよ、エアリス。堕天使は私ではなくマルクトさんの方ですよ」
「ふん、天から追放されたとはいえ、あの天使はまだ体も心も汚れていない……汚れの塊であるお前と違ってな」
「汚れの塊は酷いですね。それに私は堕天使でも天使でもないですよ」
「ふん……そうだな、お前と一緒にしたら堕天使達が可哀想だ……」
コクマは意地の悪そうな微笑を浮かべたまま、エアリスの真横を通り過ぎていく。
「ふん……」
エアリスは不機嫌そうな表情のまま、それでも、コクマのすぐ傍に付き従うように歩いていった。








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一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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